2010年2月23日火曜日

あさま山荘事件

かつて軽井沢に迷い込んだ連合赤軍が立て篭もった河合楽器の研修所(正確なのは覚えてないけど確かここのもの)ここで2名、警視庁内田さんと、高見さんが殉職された事件ですね。また、重体となった方もでた事件です。
すぐ帰るから大丈夫だろうと鍵を開けたままにしたのが始まりのようです。
事件の間あまり食べることもなく近くのNHKの建物に旦那はいたといいます。

零下でカレーライスなども凍ってしまい、溶かしておにぎりにするがダメ、結局警視庁からキッチンカーを派遣したともいいます。
またカップめんがここで重宝されたといいます。
警官たちの宿舎となったところは避暑用のため非常に寒かったとか。
今はデザインの工房になっているようですね。
本当はこんなことは起こってはいけなかったんですがこの事件を機に連合赤軍のリンチ事件が発覚し衰退して言ったのも事実です。
そして心無い記者たちのせいで軽井沢駅の売店のおばちゃんはかなり危険な状況まで陥ったそうです。なにより殉職された警官2名の命日は何とか数年に1度しか来ないということは回避されました。
本来うるう年で2月29日に決行する予定が佐々淳行の反対により1日早くされました。
確かに考えないほうがいいかもしれないことですが「もしも殉職者が出たらうるう年しか命日がこない、だから1日早くするべきだ」と反対したそうです。
1960安保闘争あたりから起こっていた学生運動が衰退を見せた事件でありました。
この事件まで警察よりも学生側に国民は肩を持っていましたがリンチ事件が発覚して警察側によって行ったそうです。
とにかくこのリンチがひどいものだったそうです。
雪山上でも行われたり山林の中であったりと発覚しました。

なぜこんなに書くかといえばこの事件が始まりなんですよね。
学生運動や昭和の事件に興味を持ったのは。
ほかにも三億円事件とかからも興味を持ちましたが一番この事件が大きかったと思います。

この事件で亡くなった内田隊長、高見繁光隊長と戦った警察官を記録するための碑が軽井沢の別荘地にあるようです。
別荘地のため碑も外に作られているということなので昭和の事件に興味を持ったルーツであるが故に一度は訪れたいと考えています。

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